数々の環境保全活動の歴史と島の原風景を語る
八重山の文化は島々の大自然の中の生活から生み出されたものにほかならない。その自然の現状を把握し、将来はどうあるべきかを提示する書。
コンテンツ
第一部 島の自然を守る
●新石垣空港
●白水、アンパル
●宇宙船地球号
第二部 八重山の自然と私
●野鳥と私
●星空と私
●ヤシガニと波照間の食文化
●波照間島のウニ
第三部 島の調査報告など
●マンゲ山調査報告
●安良地区の野鳥の調査報告
●八重山の化石林
著者
島村 修(しまむら おさむ)
大正15年波照間島に生まれる。昭和48年竹富町白浜小学校校長となる。昭和54年「八重山野鳥の会」会長となる。昭和62年石垣中学校校長を最後に教員を退職。 その後、「魚垣の会」、「白水の自然を考える会」、「ヤエヤマヤシを育てる市民の会」、「アンパルの自然を守る会」の会長となる。平成21年『瑞宝双光章叙勲』。平成22年『八重山毎日新聞文化賞正賞』受賞。
書評 沖縄タイムス ~自然と民俗の奥深さ伝える~
「島の自然を守る」という表題から、多くの人は、この本を自然科学と自然保護運動の本と思うだろう。筆者もそうであった。身構えて頁をめくったのだが、そこにあるのは豊かな自然と暮らしの美しくも豊かな世界であった。実に楽しい、自然の、いや自然と民俗の本なのである。勿論、著者の長年にわたる「自然を守る」立場からの主張もしっかりとなされている。その主張は、著者の人柄であろう、穏やかに、そして恂々とした調子で語られるが、それを伝えるのに大きな力を果たすのが、豊かな自然界の動植物に囲まれた、著者の波照間島での経験であり、教師となった後の活動である。
著者は、大正の末年、波照間島で生まれ、少年期までそこで過ごした。戦後は小中学校の教員として八重山各地を廻った。その時代、島の生活はどこも貧しかった。しかし、島の生活は自然とともにあり、その自然は季節ごとに島の人々に実りと獲物をもたらしてくれた。そのような著者から見て「八重山の島々の自然は、今まさに危機にひんしている」。著者は1972年に八重山野鳥の会の創立にかかわる。そして、白保の海を守り、白水・アンパルの自然を守る運動の先頭に立った。その著者の活動を生み出したエネルギーは、大自然にはぐくまれて生活した自らの経験であったように思われる。
自然保護運動に携わる人々が読むとびっくりするような話が満載である。「野鳥と私」の項に記された〈カラスとの対決〉〈ウズラ採り〉〈セッカの巣探し〉。野鳥をめぐる民俗はこんなにも深かったのである。そして「ヤシガニと波照間の食文化」では、どれほどヤシガニが島の食生活をにぎわすものであったかが、生き生きと、かつ面白く描かれている。人々は自らの営みと自然界の動植物の活動を密接させて生きていたことが分かる。
著者はそのような自然とともに生きる生活を深く経験した人であった。だからこそ、今まさに危機に瀕している「島の自然を守る」ことの大切さが痛感されるにちがいない。著者の発する言葉は経験に裏づけされ、やさしく私たちの胸に届く。
自然を守ることが、本当の意味での豊かな生活を築くことにつながるものであること。これをユートピアのようであったかつての波照間島での経験をとおして教えてくれるのが本書である。思わず、「島村先生、私をバードウオッチングに連れてって」と言いたくなるような本である。
2011年2月12日付『沖縄タイムス』
(波照間永吉・県立芸大附属研究所教授)
書評 沖縄・八重山文化研究会会報 ~保護活動の集大成~
島村修氏といえば、八重山の自然保護運動でこの人を置いては語れないほどよく知られている。「八重山野鳥の会」や「魚垣の会」「白水の自然を考える会」などの会長を務め、新石垣空港建設でサンゴの保護を訴え、白水のダム建設では貴重な生態系が失われることに警鐘を鳴らして中止(1997年)させ、アンパルの自然保護ではラムサール条約による湿地に登録(2005年)させた。こうした活動と功績が認められ、2010年には「八重山毎日文化賞」を受賞している。
本書はこうした著者の長年にわたる自然保護運動の中で、折々に書かれた文章をそれぞれの運動ごとにまとめたものである。
すなわち第一部「島の自然を守る」では新石垣空港、白水、アンパル、宇宙船地球号などの項目に、第二部の「八重山の自然と私」では、野鳥と私、星空と私、ヤシガニと波照間の食文化、波照間のウニ、第三部「島の調査報告など」ではマンゲ山調査報告、安良地区の野鳥の調査報告、八重山の化石林などを収録している。
一読して感じるのは、この人の自然保護の発想が、生活感覚に根ざしていることである。為にする自然保護ではなく、生活と不離一体であることだ。人間の生活を抜きにした自然保護というのが、どれほどの意味を持つのかどうか知らないが、この人は等身大の発想である。それだからこそ、その主張に説得力があり、共感もするのである。
元々は小学校の理科の先生である。身近な野鳥の観察や、星空の観察といったことを子供たちと共にすることから始めている。だから分かりやすい。本格的な自然保護運動は、1987(昭和62)年の定年退職後であるが、それも学校現場での野鳥や星空のなどの観測会のいわば延長線上にある。
それともうひとつ、八重山の生活文化を「サンゴ礁文化」としてとらえていることである。隆起サンゴ礁の台地の上に生活を営んできた八重山の先人たちは、衣食住全般にわたり、サンゴ礁抜きでは考えられない。その発想は、多分に生まれ島の波照間島から来ていると思われるが、「サンゴ礁文化」の考えがこの人の自然保護運動の基底にはある。その「文化の母たる自然」が破壊されつつあることに危機感を抱き、自然保護運動を始めたというわけである。
著者は1926(大正15)年生まれ、2009年に85年の足跡をまとめた『点綴』を刊行しているが、これは主に教職にあった頃に書かれたものや家族に関するものが中心にまとめられ、自然保護運動に関するものは省かれている。したがって自然保護運動に関する文章は本書に収録してある。本書の最後の「八重山の自然の現状と課題」と題する一文は、「あとがき」に相当するものであるが、その中で八重山では謡、三味線、踊りなど、郷土芸能は百花繚乱、隆盛ぶりなのに対し、自然や自然保護に対しては無関心層が多く、あるいは関心はあっても実践活動に結び付かない実情を指摘、その原因について次のような見解を示している。「それにはいろいろな原因があると考えられるが、その一つとして今言えることは、長い間の社会資本の整備の遅れによる開発待望論がいまだに幅を利かせていること。その二つめに、八重山の人々が豊かな大自然にどっぷりと漬かり、公害や自然破壊による直接の被害を被ることが無く、自然の素晴らしさ、自然のありがたさなどに切実感が無い。その三つに、自然の仕組み(生態系)に対する認識の甘さがあるものと思う」。長年、自然保護活動に関わってきた著者の言葉として、心しておきたいものである。
「沖縄・八重山文化研究会会報」第219号
三木健(ジャーナリスト)