「八重山の今」を考えるヒントがこの一冊には凝縮されている。
尖閣問題、教科書問題、与那国と自衛隊、新空港の未来など、岐路に立つ八重山の現在が、島の歴史や暮らし、祭祀芸能、台湾との関係などを背景に浮かびあがる。
「沖縄」とひとくくりにできない「八重山」の特性が見えてくる。
目次
書評 八重山毎日新聞 ~島に生き考える「継続」と「誇り」~
NPO現代の理論・社会フォーラムの古川純氏の編集による『八重山の社会と文化』が刊行された。書名をみて、「おや」と思った人は、60歳ぐらいから上の方(?)。1973年に宮良高弘氏の編集で木耳社から刊行された論文集が同じタイトルで、同書はいまなお八重山研究の重要な文献の一つである。
本書(南山舎やいま文庫)は、編者が理事長を務めるNPOの機関誌に連載されたものを基にする。内容は大きく、島の歴史、台湾と八重山、島に生きる、祭祀行事と芸能、八重山の現在に分けられ、現在において「八重山の社会と文化」を考える内容になっている。
専門性の高い研究者として、研究を継続する島袋綾野氏、松田良孝氏、飯田泰彦氏の論考は、これまでの研究を確認しつつ、新たな内容を示している。
そして研究もされるが、何よりも島に生きてこられた背景があって、そこから今を考える知性を身にまとった方々がいる。ここでは、森永用朗氏、山根頼子氏、はいの晄氏、砂川哲雄氏、大田静男氏である。
松田氏は謙遜しつつ、次のように言う。「なんであれ、続けていれば、第一人者になれたり、その道のプロとして認められたりするようになる」(104~105頁)。これが本書を読み解くキィワードである。はいの氏は、「『継続』が島の最大の課題」(108頁)といい、「しかも古いものを守るだけでは共同体は維持できない。『優れた新しいもの』が必要である」ともいう(116頁)。
さらに、飯田氏が「現在も民俗文化を基層としながらも、時代の文化様式や異文化を柔軟、かつ積極的にとり入れながら生き生きとした伝承がみられる。そして、これらの芸能を誇りとしながら、島人は今を生きるエネルギーとしているのである」という(190頁)。これらのことをまとめるように、山根氏は「人としての営みによりどころや誇りがあれば、社会に蔓延している暴力的な価値観をとらえなおすもう一つの視点をもつことができるのではないかと思う」という(147頁)。
この「継続」と「誇り」についての感性は、談合されたものではない。八重山におけるそれぞれの現場で感知したものであり、また砂川・大田両氏の生き方や言葉を、身近に感じていれば、誰にも思いいたることである。
砂川氏は、外からやって来る強い衝撃が、八重山の歴史に大きな転換をもたらしてきたといい、それは現在の状況も同じだとする。近世の「宮古・八重山は薩摩藩・琉球国の二重支配を受け」たという視点は重要であり(221頁)、山根氏がいう「国防、日米同盟という国レベルの話がこの小さな島々に負わされている」という言説に通じる(199頁)。自衛隊配備、教科書選定問題、そして辺野古移設問題と、砂川氏の鋭い視座は、その問題の本質をあばいている。
大田氏もまた、与那国町の自衛隊誘致に対する住民投票の経緯・結果を検証し、住民の視座をもって過去から未来を見通す。つまり「軍隊は住民を守らない」と。そのいら立ちは、しなやかでダンディな思索家である大田氏をして、「テロリストの心境とはこんなものであろう」と言わしめている(237頁)。「軍事優先という沖縄の現状を置いてみれば、未来のなんと恐ろしいことか」(同頁)と言っている矢先に、民間航空機の前を自衛隊ヘリが「優先」飛行していった。
大田氏の「島嶼が自衛隊によって守られるとは誰も思っていない。欲しいのは国の補助金や援助による経済振興である。地方創生は米軍支配下における高等弁務官資金のバラ撒きでしかない。国の思惑を知りながら、それにすがりつく、ああ!島は悲しい」(242頁)という嘆きは、政治的な立場に左右されるものではない。
巻末の慶田城用武氏、慶田盛安三氏へのインタビューからも、経験に思いをいたし、語ること、語り続けることの重要さを汲み受けることができる。
読了し、語り尽くした宴のあとのように、執筆の皆さんの言葉が耳に残る。島に生き考える「継続」と「誇り」を、現代版『八重山の社会と文化』は強く訴えて、八重山を考える基本の書の一つとなった。
得能壽美
2015年6月22日付『八重山毎日新聞』