「詩人・山之口貘」以前の「貘」 十代から二十代はじめにかけて、当時の社会思想や文学的潮流に影響をうけて学校や担任教師、あるいは沖縄の文学者や美術家に批判的で、世俗的な道徳や日常生活においてもなかば無頼な行動をとった山之口貘は、多くの意味で荒々しさを感じさせながらも、魅力的。
著者は、こうした若い山之口貘が八重山(石垣島)の旅で味わった有意義な日々と苦悩の日々を綿密な調査を踏まえて明らかにしています。また、独立した1章を設け、父・山口重珍の事業失敗の原因を社会的背景のなかに位置づけて考察し、悲劇の生涯を描いています。
序章より
「山之口貘にとって、青春期に過ごした故郷、沖縄はにがい思い出の地である。なかでも八重山(石垣島)はなおさらのことであろう。それは周知のように父・山口重珍の八重山における鰹節製造業の失敗によって、那覇の家を売り払って八重山(石垣島)に渡ったものの、借金のかたに親戚に取られそうになって島を脱出するという、つらい記憶があるからである。
本論で述べるように、貘は八重山(石垣島)に三度訪れている。最初は一九二一(大正十)年、満十八歳直前の夏期休暇中、二度目は一九二三(大正十二)年二十歳の冬、そして一九五八(昭和三十三)年十二月、五十五歳のときである。このうち本書で中心的にとりあげるのは、大正時代における二度の旅行である。
貘は最初の旅行のあとに婚約者と破局した。その失意のなかで人生をやり直そうと決心し、画家として大成する夢を抱きながら上京する。二度目は関東大震災で帰郷したものの父の事業失敗によって那覇の家を手放して石垣島に家族で逃走するという、いわば負の旅行であった。貘は結局、また石垣島からも脱出せざるをえなくなるのであるが、こうした失恋や父の事業失敗による一家離散が二度の上京を決意させるきっかけにもなった。しかもそのことが間接的ながら、のちの山之口貘を誕生させる機縁ともなるのである。その意味において、山之口貘のもっとも多感な青春期の八重山(石垣島)旅行は、詩人・山之口貘が誕生する前史として重要な時期であるといえる。」
本文内容
序 章 山之口貘の青春と石垣島
第一章 山之口貘の石垣島旅行
第二章 父・山口重珍の悲劇
終 章 運命のプロセス サムロから山之口貘への転移
山之口貘の八重山(石垣島)旅行関連年表
『八重山新報』掲載作品一覧(詩二十一篇・短歌四十五首)
【附録】 新聞資料 207
Ⅰ 『八重山新報』掲載〈山之口貘の詩〉
Ⅱ 『八重山新報』掲載〈山之口貘の短歌〉
Ⅲ 山口重珍関係〈新聞記事・広告〉
Ⅳ 『先嶋新聞』・『八重山新報』の創刊の辞
著者
砂川 哲雄(すながわ てつお)
1946年福岡県八幡市(現北九州市)に生れる。2、3年後に両親の郷里・宮古島へ。1961年中学3年生の夏、石垣島に移住。1969年八重山郷土文化研究会(1972年2月に現在の八重山文化研究会に改称)発足に参加。1974年文芸同人誌『薔薇薔薇』創刊に参加、創刊号の編集発行人となる。1989年個人誌『環礁』創刊2002年の10号で終刊。2005年沖縄市の同人誌『非世界』復刊に参加。2009年「第25回八重山毎日文化賞(正賞)」(八重山毎日新聞社主催)受賞
書評 八重山の謎に迫る
著者の砂川哲雄とは八重山で職場を共にしたことがある。その後、氏は県立図書館分館長として転勤し、そこで、山之口貘展を催したことがある。私は国語の授業をその鑑賞の時間にあてた。生徒たちと一緒にその展示会を訪れ、氏に、貘と八重山との関わりについて語ってもらった。1995年頃のことである。思えばその頃から、氏は山之口貘について資料を収集し、八重山での貘の足跡を跡付けようとしていたのだと思う。
本書は、副題に「石垣島の足跡を中心に」と記されているように、貘が山之口貘を名乗る以前に訪れた石垣島における貘の足跡をたどり、貘の青春にとって石垣島の旅行はいかなる意味をもっていたのかを明らかにせんとしたものである。それは氏が「(貘の)八重山での足跡をたどることは、山之口貘研究にとっても、八重山における文学活動を知るうえでも大変重要」と考えているからである。そのために氏は先行する貘についての研究著書をはじめ、貘の書き残した作品や新聞資料など130余に及ぶ膨大な参考文献を渉猟して貘の足跡を克明にたどっている。氏の問題意識は明確であり、氏は三つの視点から貘の青春をたどっている。一つは、貘の八重山の滞在時期について。特に青春期の旅行を詳細に再検証している。二つは、八重山での文人たちとの出会いとその意義について。そして三つが、父・重珍の八重山での足跡とその事業失敗の真相・貘に与えた影響についてである。その際、文献主義の毒に染まらないように自らを戒め、S・K・ランガーの次の言葉を引いている。「詩を作者の生涯との関連において一つの心理学的な知識として読み、状況的な知識から、より多くの意味や個人的な言及を読み取ろうとするのは、詩の冒とくである」と。
本書は、序章「山之口貘の青春と石垣島」、第一章「山之口貘の石垣島旅行」、第二章「父・山之口貘重珍の悲劇」、終章「運命のプロセス」の4章で構成されている。これらの諸章で、先に挙げた三つの視点から貘の八重山滞在の意味とさまざまな謎に迫ろうとする筆者の筆さばきは熱を帯び、時にスリリングでさえある。どんな微細な痕跡をも探り当てようとする筆者の目は、執拗で詳細を極め随所に新しい発見と意味付けを加えている。私が特に注目したのは詩人山之口貘の誕生の必然を石垣島滞在の中に探ろうとする序章と第一章である。巻末の諸資料も貴重である。
2011年2月12日付『沖縄タイムス』
(波照間永吉・県立芸大附属研究所教授)