1976年から77年にかけて石垣島の川平で暮らした著者一家が、八重山の自然や村人たちとの触れあいを通じ、とまどい、おどろき、感動しながら、その後の人生に深く影響を及ぼすほどの成長をとげた濃密な一年の物語(画文集)。
聞き語りを基にした児童文学の名作を多く生み出してきた著者の、いわば今度は自分自身が主人公になった大人の絵本のような趣もある画文集です。
力強いタッチの絵とともに八重山への感謝にあふれた文章は、匿名の村人たちが著者不在のおりに家にそっと置いていってくれた大根の温かなほの白い輝きのように、読んだ人の心もいつまでも温かく照らしてくれるような気がします。
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著者
下嶋哲朗(しもじま てつろう)
長野県生まれ。ノンフィクション作家。
1976 ~ 77年、石垣島川平に暮らして聞き書きをする。
1983年、大阪枚方市、那覇市、石垣島で「沖縄を描く 下嶋哲朗絵本原画展」。1983年、沖縄読谷村チビチリガマの集団自決を調査。
著書に「ヨーンの道」「野底マーペ」「海原の里人たち」(理論社)、「月の子アカナー」(岩崎書店)、「星砂がくる海」(新日本出版社)、「消えた沖縄女工― 一枚の写真を追う」「豚と沖縄独立」(未来社)、「南風の吹く日― 沖縄読谷村集団自決」「ぼくとガジュマル」(童心社)、「アメリカ国家反逆罪」(講談社。講談社ノンフィクション賞受賞・大宅賞候補)、「白地も赤く百円ライター」(社会評論社。朝日ジャーナルノンフィクション大賞入賞)、「ニッポンからの贈り物」(講談社。プレイボーイドキュメントファイル大賞特別賞受賞)、「生き残る― 沖縄チビチリガマの戦争」(晶文社)、「沖縄 チビチリガマの“ 集団自決”」(岩波ブックレット)「平和は『退屈』ですか― 元ひめゆり学徒と若者たちの500日」「非業の生者たち― 集団自決サイパンから満州へ」(岩波書店)等多数。
月刊やいま2024年5月号「資料こぼればなし 113」より (八重山資料研究会 山根頼子)
●移住した絵本作家
沖縄が本土復帰してまだ間もない昭和51(1976)年、一家4人で石垣市の川平地区に一年間移住した作家がいた。あの『ヨーンの道』の絵本作家、下嶋哲朗氏だ。移住の目的は島の古老の生活誌や歴史を新しい民話誕生ととらえて聞き書きし、そして
絵本にする事だという。
住まいは川平集落の入り口にある宮里商店の借家。大家さんのマイツお婆さんとの共同生活だった。 この家を紹介してくれた地元のOさんは、「かつてこの島には電気がなかったから八重山を学びに来たのなら冷蔵庫はまかりならない」と条件を出し、下嶋一
家はそれを実行した。 昔の不便な生活と異文化に戸惑いながらも、5歳と2歳の男の子と妻の4人家族はたくましく自然とともに暮らしていく。その様子はエッセーと絵で『想い続ける』にまとめられている。
●12話の「新しい民話」誕生
「新しい民話」は『海原の里人たち-八重山諸島聞き書き記』になって発刊された。川平のみそやのばあちゃんの話「ヨーンの道」や、沖縄本島の読谷村から開拓移民で米原に入植した与儀良さんの話など、八重山諸島各地の聞き書きが12話並んでいる。新しい民話でもあり、また資料的に読むこともできる。 理論社編集人の小宮山量平氏はあとがきでこうのべている。当時最盛期を迎えていた児童文学の世界で、量産される作品に空おそろしい思いを感じていたところ、下嶋さんはたくさんの作品をもって川平から帰ってきた。「それらの作品を一枚一枚めくっていくうちに、私の胸は熱くふくらんできたものです。うっかりすると涙がこぼれそうになります」と。作品がベテラン編集者の心を揺さぶったことが述べられている。
●川平での移住生活
作品はどのように誕生したのだろうか。エッセー『想い続ける』の行間からは川平の人々との温かいつながりが見えてくる。川平湾で獲物をとって帰ってくると、薄暗い裏座にキャベツや大根がそっと置いてあり、その白い輝きが今も心に残っているという。ま
た、絵を描いていることを「マンガやってるさー」といわれながら、時にはみそづくりに、時には獅子のウッズ(胴衣)づくり作業に誘われる。村人になったようでうれしかったと下嶋氏は述べている。
●こころが空っぽになる
しかし半年ほど経った頃、真っ白な砂浜に座っていると「とつじょとして気が狂うのではないかとの、不安のどん底に墜落していった」という体験をする。そして「その理由は見当がついた、何もないからである。都会の人間は間断なく何かを見ている見せられている、聞いてる聞かされている、無意識のうちに⋮。おそらく川平湾のエメラルドにそのストレスが溶かされて、こころが空っぽになったのだ」そして絵が描けなくなってしまった。
●宇宙と溶けあう
そしてこの不安が晴れたのは予期せず夕刻に「宙に月が
グワッと現れたときだった」という。「ああ、なんて素晴らしい月だ、宙だ、八重山だ、川平だ!」 下嶋作品には月が多く登場する。絵本『月の子アカナー』には「これは、自然と人間がひとつであって、おおらかに生きていたころの話しです」「沖縄の月の美しさは特別です」とある。あの時下嶋氏は、川平で宇宙と溶けあうような体験をしたのかもしれない。