八重山諸島の民俗文化の核となる稲作儀礼について
著者長年のフィールドワークの成果がここに結実!
八重山文化研究会会長の石垣繁氏が長年にわたる民俗学的研究成果を集大成した一冊。各地域に伝わる「稲ガ種アヨー」を基に考察を深め、今日では忘れられている本来の意味の「種子取り儀礼」がかつて存在したことを解き明かす第一章ほか、丹念なフィールドワークの賜物である貴重な伝承記録、神歌、口上、願い口なども豊富に採録されている。また、同じ民俗用語でも島内の地域ごとに発音の違いを忠実に表記している点も特長。約1500項目にのぼる索引付。八重山の民俗に関心をお持ちの方々に、ぜひおすすめいたします。
目次
序 文 狩俣恵一
発刊にあたって 石垣 繁
第一章 八重山諸島の稲作儀礼
第一節 播種儀礼
第二節 田植儀礼
第三節 稲の成長過程における「呪術儀礼」
第四節 石垣島白保の「収穫儀礼」
第二章 八重山の神歌
はじめに
第一節 白保のプーリンの神歌
第二節 川平のプーリヰの神歌
第三節 新川のプーリヰの神歌
第四節 新城島のシヰチヰの神歌
第三章 八重山の民俗
第一節 「火の神」考
第二節 白保の「真謝井戸」に関する一考察
第三節 南島の牛馬籍と耳判
第四節 西表島祖納の節祭
第五節 安良村の「大城御嶽」を求めて
第六節 八重山における弥勒の受容と変容
第七節 占い・呪文
第八節 運気願い
初出一覧
参考文献
あとがき
索 引
ページの一部をご紹介
『八重山諸島の稲作儀礼と民俗』刊行によせて 刊行委員 松村 順一
八重山文化の研究は柳田國男がその重要性を指摘し、その後、喜舎場永先生をはじめとする人たちによって研究が深められ、貴重な成果が広く掘り起こされてきた。
本書の著者である石垣繁氏は、喜舎場永先生や八重山文化研究会の活動をとおして親交のあつかった牧野清先生の影響を受けつつ、フィールドワークに力を注ぎ、現場での情報を得て、より広く、さらに深い成果を公表してきた。
著者は若い頃、新任教師として竹富町の学校に赴任した際、それを好機として、その島の方言や年中行事の歌などを調査・記録している。「新城のシヰチヰの神歌」は当時の成果である。また、石垣市に転勤した後も、おりにふれ調査・研究を進め、とりわけ稲作儀礼に関心を寄せるなか、「第一章 八重山諸島の稲作儀礼」に収められた諸論考をとりまとめているほか、関連した豊年祭における神歌の研究もとりまとめている(「第二章 八重山の神歌」所収論考)。
これらの論考は直にインフォーマントの方々からの取材によって得た情報や方言を基にしており、その中には今日では、なかなか聞くことのできない歌や方言なども記録されていて貴重である。
もとより、著者の専門分野は言語学である。論考のタイトルにもそのこだわりは見て取れよう。「シヰチヰ」の「ヰ」の表記は八重山方言の特徴的な中舌音を表す表記で、宮良當壯表記では「シィ」、宮城信勇表記では「シゥ」と表記される音である。著者はよりベストな表記を考えた末に独自の表記法を提案しており、方言表記に関しても特徴をもったものとなっている。
本書には、ほかに民俗に関する論考が収録されている。それらは著者の深い関心と情熱、幅広い人づきあいの中で歳月を経てとりまとめられたものである。知る人ぞしる、著者の人柄があっての論考ともいえよう。
著者は常々「インフォーマントとしての立場だけでなく、研究者としての立場でありたい」と語っている。その立場を強く意識した成果がここに集大成され、本書の刊行をみたことは著者が生きた証を末永く語るものとなろう。それに、若き日の著者に語りかけた島の人々に想いを馳せることも大切な時間ではないだろうか。ぜひ一読を。
現地調査で豊富な資料
長年、八重山の文化研究に携わってきた著者渾身の一書である。八重山の文化研究の歴史は、岩崎卓爾によって先鞭がつけられ、喜舎場永によって大きな花を開かせた。著者はその喜舎場永の衣鉢を継いで八重山文化研究の道に入り、喜捨場の「教育の郷土化」「郷土化しない教育は砂上の楼閣だ」との言葉を守り、八重山の島々の古老を訪ねて歩いた。その営みは半生記以上。その成果の中から選りすぐりの原稿をまとめたのが本書である。
著者の研究の主要テーマは八重山の稲作儀礼の研究であった。その成果をまとめたのが第1章であるが、その結論として、八重山の稲作儀礼には、播種儀礼の前に「種子取儀礼」があったことを指摘している。「稲叢から種子を取る『種子取儀礼』であった」ものが「いつの間にか、田に種子を下ろす『播種儀礼』に変容」したのだという。八重山の稲作儀礼を明らかにするため、種々の民俗事象についても記述を展開するが、全て現地調査に基づくものである。個々の民俗事象の報告としても貴重なものである。八重山の稲作儀礼研究の一つの到達点を示している。
著者は「今日、八重山諸島では司の継承が危ぶまれ、御嶽の信仰が形骸化の傾向にある。かかる時、司の神口の記録が急を要するように思う」という問題意識に突き動かされて研究に従事した。言語学を専攻した著者はこの仕事にうってつけの人物であった。数多くの歌謡・呪詞が収録されているところに本書の特徴があるが、その資料的価値を支えるのは、これらの詞章が言語学の知識に基づいて表記されていることにある。こうして集められた資料の多くが、琉球文学の研究資料として新たに付け加えられるものであることを多くの読者は知るだろう。
例えば、石垣島白保・宮良で伝えられていた「ハブ除けのジームヌン」は奄美の「ハブグチ」と並ぶものである。この両者を比較対照することで琉球文学の発想の一問題に言及することが可能である。本書の価値はそのような豊富な新資料を収録しているところにもある。著者の積年の努力と功を仰ぎ讃えたい。
2017年8月12日付『沖縄タイムス』
波照間永吉(沖縄県立芸大名誉教授)
民俗・歌謡研究の優れた論考 -在野の研究者としての強みを生かす-
本書の構成は、「第一章 八重山諸島の稲作儀礼」「第二章 八重山の神歌」「第三章 八重山の民俗」という三章からなる。いずれの論考も密接に結びついている。残念ながら民話研究は割愛されているが、それでも本書は、著者の研究の集大成であるといってよい。
八重山の民俗儀礼や歌謡研究は柳田国男・伊波普猷・喜舎場永以来、多くの研究者が優れた成果を積み重ねてきた。だが著者の強みはなんといっても在野の研究者ということにある。その一つが、ますます変化する八重山の言葉や習慣、祭祀儀礼と歌謡を肌で感じ、たえず観察してきた。もう一つが、研究者としてだけではなく、八重山、とくに石垣島白保のネイティブ・スピーカーでもあるということだ。すなわち、研究者でありながら、同時に自らも研究の対象者でもあるという二重性をもつ、きわめて有利な存在である。
それだけではない。著者は地元在住の研究者として一九六九年には八重山郷土史研究会(現在の八重山文化研究会)を立ち上げ、世代的な研究者の空白を埋めてきた。そういった環境が類書とはまた異なる優れた考察を生みだしている。
たとえば、第一章における八重山諸島に今も伝わる重要な種子取祭(タネドリサイ)の考察がそうである。本来は播種儀礼であるはずなのに、なぜ種子取祭と呼ばれるのか? 著者はこの素朴な疑問を二十年余にわたって粘り強く持続し、やがて文献と古歌謡「稲ガ種子アヨー」の詞章構造を分析することによって独自の結論を導き出した。それは種子取が文字どおり稲叢から種子を取る種子取儀礼であり、それがいつしか田に種子を下ろす播種儀礼に変容した、という新しい見解である。
第二章では、八重山地方の収穫儀礼の場でうたわれる神歌の歌形や歌唱法、されにうたに伴う儀礼的所作について詳細な分析を行い、祭と神歌に現れた豊穣に対する感謝と翌年への予祝を祈るこころを描き出す。この章からは島びとの祈りの深さが伝わってくる。
第三章は本書の半分近い分量を占める。かつての村番所オーセー内に祀られている火の神(ヒヌカン)について性別、祭祀集団の本家、分家の関係や名字について考察をすすめ、口上の内容を紹介している。このように火の神は現在でも奄美や沖縄諸島全域にみられる重要な信仰である。ところが著者はここでも、火の神信仰が実は道教のかまど神信仰と混同されているとする。
また、著者の出身地である石垣島白保の真謝井戸(マジャンガー)は沖縄ではよく知られた民謡「シンダスリ節」にもうたわれているが、その類歌や井戸の名称の由来となった人物に対する諸説への疑問、本来の所在地について著者独自の説を立てている。
しかし注目すべきは、「南島の牛馬籍と耳判」である。かつては牧祝いという牛馬の繁殖祈願のときに持主を明らかにする耳判をつけたが、それも散逸、消滅しつつあった。こうした状況に危機感を覚えた著者は、聞き取り調査を精力的にすすめた。その成果としてさまざまな耳判の種類が図版として本書に収録されており、資料としても貴重である。
ほかにも、西表島の節祭(シチ)や八重山各地に登場する弥勒(みろく、みりぃくなどと呼ぶ)信仰の受容と変容、各地域の相違点などについての興味深い論考がある。
本書には著者の四十年にわたるフィールドワークに裏付けられた八重山諸島の稲作儀礼の事例や民俗儀礼、古歌謡などが豊富に収められている。そのうえでいくつか紹介したように著者独自の説が示されている。
八重山諸島に限らず、沖縄や日本の民俗研究、歌謡研究の上で、通過しなくてはならない基本的な研究書として、本書は有益で確かな足跡を残すはずである。
なお別刷りの付録として、著者と萱野茂氏(二風谷アイヌ資料館長・故人)との対談「アイヌ民族とウチナンチュウの教え」も添えられている。
砂川哲雄・八重山文化研究会会員
『週刊読書人2017年9月22日号』掲載
豊かな意味世界を描く
本書は著者が教職につきながら、半世紀近くも八重山郷土研究会の会員として、「折に触れ、八重山の民俗文化への思いの一端を書き綴って」きたという書論考によって編まれている。三つの章に分けられ、「第一章 八重山の稲作儀礼」「第二章 八重山の神歌」「第三章 八重山の民俗」となっている。
第一章では稲作儀礼を播種、田植、成長過程、収穫の四時期に分けて扱っている。それに対して、第二章では白保、川平、新川、新城島など、四地域の収穫儀礼における神歌を取り上げている。それら二つの章は、八重山における稲作儀礼およびその各場面に織り込まれた歌謡を同時に把握する点において共通している。第三章では歌謡のみならず、祈願の口上や呪文まで取り込んだ、八つの論考を収録している。
随所に文書まで駆使した貴重な民俗の解説がなされている。例えば、種もみは「夏水に浸けて冬水に下ろさせ」とする、ある家譜の一文に対して、「八重山諸島では、旧暦九月は夏、十月は冬という」との説明が加えられている。
一読して感じることは、宗教的あるいは呪術的な儀礼に伴う定型化された言語表現に一貫して注目している点である。その一貫性こそ、著者の持ち味であると同時に、本書の最大の長所であり、高く評価されるべき点である。
われわれが八重山の一村落で豊年祭の儀礼を見せていただくとしよう。儀礼は視覚的に観察可能なので、よそ者にも客観的な記述が可能である。しかし、それはあくまでも視覚的な部分であって、その背後にある観念や意味の部分ではない。
その部分に関しては、普通は儀礼の直接的な担い手や一般の参加者に場面ごとの意味を尋ね、教えてもらうことによって明らかにすることができる。加えて、歌謡のような、儀礼に伴う定型化された言語表現があれば、それを通してさらに豊かな意味世界を描き出すことも可能となる。本書はまさにそれを実践し、提示しているのである。
津波高志・琉球大学名誉教授
2017年10月1日付『琉球新報』
著者
石垣 繁 (いしがき しげる)
1937年、石垣市字白保に生まれる。
沖縄県立八重山高等学校卒業。日本大学通信教育部文理学部文学専攻(国文)卒業。高等学校を卒業して直ぐに教職につき、八重山地区の小・中・高校で勤務し、定年退職。
1969年9月、八重山郷土文化研究会を設立
1992年、八重山郡体育協会スポーツ功労賞(陸上)表彰
2003年、日本陸上競技連盟S級公認審判員に委嘱される(会長 河野洋平)
同年、八重山毎日文化賞受賞
2007年、石垣市市政功労者(文化部門)表彰
2017年現在、八重山文化研究会会長
[主要著書・論文]
『登野城村古謡集』第一集、1992年、登野城ユンタ保存会
『八重山・石垣島の伝説・昔話 -登野城・大川・石垣・新川-』、2017年、三弥井書店〔共著〕
「八重山・白保方言の研究 -その音韻・アクセントについて-」(『沖縄文化』36・37、1971年、沖縄文化協会)
「聞き書き〈田場天龍〉」(『石垣市史のひろば第25号』、2002年、石垣市総務部市史編集課)
「パイパテロー説話の世界観」(『八重山文化論集』〈第3号〉-牧野清先生米寿記念-、1998年、八重山文化研究会)
「与那国島比川村の『天人女房譚』」(『琉球の言語と文化』、1982年、仲宗根政善先生古稀記念論集刊行委員会)
「立法院発足前の八重山群島」(『沖縄県議会史』第二巻 通史編2、2013年、沖縄県議会)