シリーズ八重山に立つNo.3
著者が20代のころから書き続けてきた数多くの文章のなかから八重山の歴史、民俗、歌謡、文学に関するエッセーやコラム、書評を厳選しまとめた1冊。南山舎からは、すでに『刺繍・遠い朝』(1997年)を上梓している砂川氏だが、今回は副題の「八重山文化論序説」が表す通り、その透徹した感性で八重山の文化を語る。八重山へ心を寄せる人たちのために、八重山へより深く潜行していくための「新たな門」が、またひとつ誕生した。
コンテンツ
第1章 人物へ
第2章 歴史へ
第3章 状況へ
第4章 文学へ
第5章 芸術へ
著者
砂川 哲雄(すながわ てつお)
1946年福岡県八幡市(現北九州市)に生れる。2、3年後に両親の郷里・宮古島へ。1961年中学3年生の夏、石垣島に移住。1969年八重山郷土文化研究会(1972年2月に現在の八重山文化研究会に改称)発足に参加。1974年文芸同人誌『薔薇薔薇』創刊に参加、創刊号の編集発行人となる。1989年個人誌『環礁』創刊2002年の10号で終刊。2005年沖縄市の同人誌『非世界』復刊に参加。2009年「第25回八重山毎日文化賞(正賞)」(八重山毎日新聞社主催)受賞
書評 琉球新報
本書は、昨年、公務員を定年で退職した詩人の著者が、二十代半ばから三十年余にわたって書いてきた評論集である。人物、歴史、状況、文学、芸術などに分けられ、いわば、砂川流八重山ワールドといったところだ。
個々の文章は、書かれた時代も、対象も異なりながら、まるで一つのテーマで書かれたように違和感がない。それもそのはず「わたし自身にとってはすべて同じ根っこから生まれたもの」(あとがき)だからだ。
「同じ根っこ」とは何か。「八重山という歴史風土にコンパスの中心をおいて考えつつ、宮古や沖縄のことを考え、あるいは日本やアジアのことを考えることがわたしのとっている立場である」(あとがき)という言葉に集約される。本書のシリーズ名は「八重山に立つ」。まさにそのキャッチフレーズの通り、八重山という地域に立って考え、書き綴ったものだ。
岩崎卓爾、喜舎場永じゅん、大浜信光、村山秀雄など島に生きた文化人を取り上げた第一章の「人物へ」から、オヤケ赤蜂、八重山キリシタン事件の宮良永将、人頭税などの第二章「歴史へ」、島の環境問題や新石垣空港建設問題、戦争マラリアなどの第三章「状況へ」、島の古謡や文芸活動を取り上げた第四章「文学へ」、そして島の画家たちを論じた第五章「芸術へ」まで、著者の関心は実に幅広く、かつ奥が深い。
しかもその文章には、一種の緊張感がある。それは対象と自分との関係であり、個から普遍へという問題意識のためである。そうした意識が単なるお国自慢に陥ることなく、読者をひきつけて離さない。著者は中学三年の夏に、宮古島から石垣島に移住してきたが、そうした自身の体験もまた、複眼で島を見ることに寄与していよう。
一九八九年に個人誌『環礁』創刊号で、新石垣空港問題を論じた中で「大事なことは自己自身から出発できるかどうか」だと論じているが、著者の状況へのかかわりを端的に示す言葉だ。読者は、真摯に状況と向き合って生きてきた島の知識人の目と苦悩を通して、豊かな島の歴史や文化と同時に、島が直面してきたさまざまな問題や矛盾をも、より深く理解するに違いない。
2007年12月2日付『琉球新報』
三木 健(ジャーナリスト)