やいまCDブックシリーズ
完売した書籍「やいま文庫8 八重山の台湾人」が電子版(PDF)にて復活!
台湾-八重山に生まれ
生きた人々の生活史を通して見える
八重山近現代史の新たな側面
~第25回沖縄タイムス出版文化賞 正賞受賞作品~
『八重山毎日新聞』に長期連載されたシリーズの単行本。 台湾-八重山に生まれ、生きた人々の物語。
日本の台湾植民地支配の始まりとその崩壊、1972年沖縄の本土復帰=台日の国交断絶といった時代の節目を挟んだ激動の近現代史。それぞれの時代に生きた「八重山の台湾人」たちが語る生活史は、彼らが"国家"に翻弄(ほんろう)されながらも、台湾-八重山にあって、国家の国民であることより国際人、何よりも「人」であることを証す。
当商品はCD-Rです。あらかじめご了承ください。
コンテンツ
・地図(八重山/台湾)
・まえがき
序章 台湾人コミュニティー
・行き来する人たち
・現代の″八重山移民″
第一章 八重山へ
・すっかり熟したバナナ
・物見遊山と砂糖
・海上輸送の国家統制
・移住・疎開・帰郷
・「お国のため」
・志願兵
・「志願」
・宇多良炭坑跡
・国策から始まった西表炭坑
・台湾でも使われた「八重山炭」
・トロッコ事故
・切り込み訓練
・学校教育が戦意を高揚
・ふらりと八重山へ
・「台湾人と云えども…」
・徴用・供出
・″マラリアでも大丈夫″
・水牛の畜力
・兄の身代わりで″志願″
・「兵隊になれば、飯が食える」
・日当五十銭
・結婚
・隙間
・冬の海
第二章 台湾ではない「日本」で
・第二章 台湾ではない「日本」で
・「原状回復」
・赤線でチェック?
・優越感
・台湾一低い就学率
・モチとムチ
・遅刻でも「○」
・「自前」で学校建設
・保護者にも波及効果
・学校の維持・管理も自前で
・乏しい教育財政
・「せめて農道だけでも」
・「無国籍」ゆえに
・台湾語を拒否
・「国は違うが、同じ日本人」
・日本国籍取得への挑戦
・国境線
・「本国送還の計画はない」
・国語の試験
・日本国籍取得
・日本名を名乗っても台湾人
・気負い
・「無国籍」
第三章 大量帰化
・急行「桜島」
・台湾人と「復帰」
・台湾からの同級生
・「なぜ?」
・The immigrants and citizenship
・「台湾からの移住者に市民権を」
・「日本国籍がないのは、なぜ?」
・パイン畑を手伝いながら練習
・台湾人の代表として
・スペースを確保
・技術導入
・準優勝
・国籍取得への熱気
・違和感
・労働力は東へ
・八重山からの逃避
・沖縄出身の″ワンちゃん″
・台湾語で意思疎通
・復帰への不安
・高等弁務官事務所
・直談判
・アルバニア決議
・「あんたなんかは、みんな日本人」
・中華民国籍のままで
・続く不安
・台湾の優れたパイン技術
第四章 「日本人」と「台湾人」
・曾一家の選択
・氷菓に涙
・鉄くず拾いで小遣い稼ぎ
・「いまさら言えない」
・日本人の真似事?
・両方を引き受ける
・台湾生まれで沖縄育ち
・人そのもの
・「台湾って何?」
・台湾人の「みちこ」
・心を閉ざして
・肯定的な評価
・「今は生きやすい」
・無難な答
・広がる台湾との距離感
終章 遠回り
・テレビが日本語教師
・いとこ同士なのに
・子どもたちと台湾
・参考文献
・あとがき
・あとがき(やいまCDブック版)
著者
松田 良孝(まつだ よしたか) Matsuda Yoshitaka
1969年生まれ。さいたま市出身。石垣島など沖縄と台湾の関係を中心に取材を続ける。北海道大学農学部農業経済学科卒。十勝毎日新聞、八重山毎日新聞を経て、2016年7月からフリー。著書に『八重山の台湾人』、『台湾疎開』、『与那国台湾往来記』(いずれも南山舎)、共著に『石垣島で台湾を歩く:もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社)。第40回新沖縄文学賞受賞作の小説『インターフォン』(同)もある。2019年台湾政府外交部フェロー。
書評 八重山毎日新聞
八重山には戦前から多くの台湾人が移住し、生活を営んできた長い歴史がある。現在も数百人もの人たちが、八重山の地にとけ込んで生活しているが、それだけまとまっているのは県内では八重山だけである。八重山がいかに台湾とは、切っても切れぬ関係にあるかを示すものである。
戦前、八重山に渡ってきた台湾人には、大きく分けて二つの流れがあった。一つは石垣島の名蔵一帯に昭和初期に入植した農業移民の系統である。もう一つは、西表炭坑の坑夫として、大正時代から入ってきた系統である。いずれも戦前の日本植民地時代に、台湾と八重山の国境線がなかった時代のことである。
ただ後者の炭坑労働者の方は、戦争による炭坑閉山で、一部を除いて定住することなく本国に引き揚げた。これに対し石垣島に入植した人たちは、戦時、戦後の苦難に耐えて今日に至っている。
これだけ長い定住の歴史にもかかわらず、これまでまとまった記録らしい記録もなかった。このため「記録なきフロンティア」(金城朝夫)と呼ばれたりした。
私は西表炭坑の歴史を調べ、台湾人坑夫のことを書いたことがある。しかしこれも、部分的なものに過ぎない。八重山の台湾人の記録を残す必要性を痛感していた私は、戦前の名蔵入植の先駆者のお一人である林発さんの『沖縄パイン産業史』の編集・出版をお手伝いしたことがある。
それもパイン産業史もさることながら、それをもたらした台湾人の苦闘の歴史を、なんとか知ってほしいという思いからであった。一九八四年のことで、かれこれ二十年も前のことになる。
そんなことから八重山毎日新聞の松田良孝記者が、二〇〇三年一月から九月にかけて週一回「我們是従台湾来的-私たちは台湾からやってきた」を連載したときから注目していた。多忙でなかなか通して読むことができなかったが、それが今回一冊にまとめられ南山舎の「やいま文庫」シリーズとして刊行されたことをうれしく思う。
松田記者は移住一世の人たちから三世に至るまで、その個人史を丹念に追い、彼らの苦難の歩みを、その生活のひだひだに触れてまとめている。当然ながら一世たちのルーツを訪ねて台湾に渡り、三世を追って大阪で取材したりしている。
そのなかで浮かび上がってくるのは、台湾の人たちとは関係のないところで国境線が変えられ、それによって翻弄(ほんろう)されてきたことである。
著者もあとがきで述べているように、八重山の台湾人にとって、三つの大きな節目があった。一つは日本の台湾植民地支配が始まった一八九五(明治二十八)年、二つ目はその支配が崩壊した一九四五(昭和二十)年、そして三つ目は一九七二(昭和四十七)年の日本復帰である。
一つ目のとき、台湾人は中国籍から日本国籍に変えられ、日本国民であることを強要された。二つ目にはその日本国籍がはく奪され、八重山からは外国人扱いとなる。そして三つ目に沖縄の日本復帰による国籍問題が浮上し、日本国民として生きるか否かの選択が迫られた。
このように日本の国策に翻弄され、あらぬ差別を受けることにもなる。そうした中での台湾人移住者のアイデンティティー(主体性)を求めての闘いは、実に痛ましいものがあった。八重山の人たちが、はたしてどれだけその苦しみを理解し、その解決のために力を注いだのか。本書はそのことを言外に問うてもいる。
今日、八重山の台湾人のアイデンティティーは、著者によれば「拡散」と「回帰」の二つの流れにある、という。日本人としてあるいは国際人として生きる人たちと、改めて自らの主体性を台湾に求めて回帰していく人たちである。
それはそれぞれの生き方にかかわることであり、私たちがとやかく言えることではない。それについて著者も特にコメントしてはいないが、温かい眼をもって見守っていきたいとする姿勢が感じられる。
著者自身、埼玉県の出身で八重山地元の人ではないが、そのことがかえって八重山と台湾とを客観的に見ることに役立っているのかもしれない。「記録なきフロンティア」は、いま本書によって記録を持つに至ったのである。
2004年8月6日付『八重山毎日新聞』
三木健(石垣市史編集委員)
書評 沖縄タイムス新聞
八重山毎日新聞の記者として多忙な日々を過ごす松田さんに「自分の本の原稿はいつ書いているの? 夜?」と尋ねたことがある。新聞連載をベースにしていても本としてまとめるには、さらにそこから多大なエネルギーがいるからだ。返事は「夜も、朝も」ということであった。本書は、その松田さんの第一作。国家や国境に翻弄【ほんろう】され続けた八重山の台湾人たちの歴史と、アイディンティティの問題を深く掘り下げている。
八重山には戦前から多くの台湾人が移住し、生活してきた長い歴史がある。しかし、戦時中は移住前の台湾でも日本人とされ、移住後も水牛の導入やパイン生産など、農業発展の基盤を築いた第一世代は、戦後、一転して外国人とされ国籍を失い、「台湾に帰れ」と差別的な扱いを受ける。
日本で生まれ、日本語を話している第二世代たちは、無国籍状態で市民権もない上、心理的な帰属意識でも台湾と日本の宙ぶらりんな状態にさらされた。多くは将来の生活を考え帰化するべく努力した。
そして第三世代になると、自分はどこの国の何人というより先に「ひとりの人間」である、という自意識を持つ者もいれば、自分は一体何者なのか、と問い続ける者もいる。
ある日を境に国境が変り、個人の生活や心が翻弄される悲劇は、現在も世界中で起きている。そして、それがため民衆同士が差別し、排斥しあうことはなお悲しい。同じく国際情勢や国家に翻弄され続ける琉球・沖縄の中で、さらに差別や排斥があったことも見つめ直す必要がある。
本書を読んで八重山の台湾人たちの歴史を今の時代、今の自分に引き寄せて考えてもらえれば、調査報道に力を注ぐ松田さんの「夜も、昼も」ない努力も報われるだろう。
2015年1月10日付『沖縄タイムス』
大森一也