体験談と資料で台湾疎開を解き明かす
台湾で難民化した沖縄の疎開者たちは、いかにして生還してきたのか。第14回新聞労連ジャーナリスト大賞受賞作を単行本化。
第1部 疎開
序 章
第1章「出発」
第2章 疎開地にて―新営
第3章 茶の里―龍潭
第4章 2次疎開
第5章 終戦
第6章 栄丸事件
第7章 引き揚げ
終 章
第2部 疎開地を訪ねてみる
佳里
新営
南投
南方澳
麻豆
龍潭
第3部 疎開者帰還船の運航と台湾沖縄同郷会連合会
松田 良孝(まつだ よしたか)
1969年2月、埼玉県大宮市(現・さいたま市北区)生まれ。北海道大学農学部卒。1991年4月に十勝毎日新聞社(本社北海道帯広市)に入社し、政経部記者。1993年2月から八重山毎日新聞(本社沖縄県石垣市)の編集部記者。『八重山の台湾人』(2004年/南山舎)で第25回沖縄タイムス出版文化賞(正賞)を受賞。『台湾疎開』(2010年/南山舎)のもととなった『八重山毎日新聞』の連載記事「生還―ひもじくて “八重山難民”の証言」では2010年の新聞労連第14回ジャーナリスト大賞を受賞。
手に汗握って一気に読んだのは、実体験者の証言がこの本の核心だからだろう。どう生き延び、どう生還するのか。終戦間際の1944年、国の決定で突如、台湾に疎開させられ、敗戦と同時に難民化した先島地方の人々の切迫した現実が、当事者の証言によって昨日の出来事のように眼前に立ち上がってくる。
もとより沖縄県民に「証言」の大切さを述べても釈迦に説法だが、津島丸撃沈の悲劇で広く知られる本土への疎開と違い、ほとんど実態が解明されていない台湾への強制疎開に関する証言となれば、どれだけ貴重なことか。
著者は石垣島の八重山毎日新聞の記者である。国内と台湾で記録を掘り起こし、証言を丹念に集める仕事ぶりに、証言できる人が刻一刻と減少しつつある今取材し泣ければ二度とできないという、記者としての危機感と使命感が伝わってくる。本書は八重山毎日の連載(2009年1月1日~5月1日)に若干の手を加え、単行本化したものだが、動連載が新聞労連の第14回ジャーナリスト大賞に輝いたのもうなずける。
私は数年前、明治半ばに「南嶋探検」を著して人頭税やマラリア禍への無策を糾弾した青森県出身の元弘前藩士・笹森儀助の評伝取材で沖縄を訪れ、松田記者のお世話になった。その折、膨大な資料を調べ、歩き、目と耳で確認し、記録した笹森と同じにおいを松田記者に感じ、感嘆した記憶がある。
笹森が琉球処分後の混乱が続く沖縄や、日本の植民地になったばかりの台湾などを歩いたのは、日本国とは何か、人々は日本国民であることの幸福を享受しているかを確かめるためだった。国境は人間が決めた概念上の線にすぎず、人や物や文化が行き交う。だが、ときに線引きは変わる。たいてい、住民の意思とは無関係に。そして、ぶ厚い壁となり、混乱と悲劇を生む。松田記者は『八重山の台湾人』(04年・南山舎)で第25回沖縄タイムス出版文化賞も受けているが、本書も同じ流れの上にあり、沖縄、とりわけ先島地方にとって「国」「国境」とはどんな意味を持つのかに、民衆史の視点から迫っている。
国は沖縄県民に何をし、何をしないのか、常に確かめ、記録し、問い直さなければならないことは、笹森の時代から何ら変わっていない。そのことを、疎開者が敗戦とともに棄民された実態を本書で知るにつけ、あらためて痛感する。
太平洋戦争末期の1944年7月、日本政府は緊急閣議で南西諸島の奄美大島、徳之島、沖縄本島、宮古、石垣の5島の老幼婦女子の疎開を決定した。沖縄本島から8万人を九州以北の内地へ、宮古・八重山から2万人を台湾へ、というものだった。サイパン、テニアンが陥落し、次は沖縄か台湾に上陸するのでは、と見られていた。台湾疎開はこうして始まった。
疎開の対象は、60歳以上の者、15歳未満の者、妊産婦病弱者、これらの者の介護に必要な婦女などだった。縁故疎開(個人疎開)と無縁故疎開(集団疎開)の二通りで、敗戦直後の調べでは、無縁故が8570人、有縁故が4369人だという。無縁故疎開を市郡別でみると宮古4892人、八重山2171人、島尻郡525人、国頭郡493人などとなっている。
本書はこのうちの無縁故疎開について、石垣から台湾の中南部に疎開した3人を中心に、出発から疎開先への入居、食事や病気、二次疎開から食糧難にあえぐ様子、敗戦を迎えて台湾人に囲まれた恐怖や助けられた話、そして引き揚げ港の南方澳から島に帰還するまでの足取りを克明に追うことで、台湾疎開の実態を明らかにした初の著作である。敗戦直前には、幼い兄妹が食を求めてさまよう姿が胸を打つ。台湾政府がこうした疎開者を「琉球難民」と呼んでいたことも、初めて知った。
八重山での戦争と言えば、石垣島や西表島の山中疎開でマラリアにかかり、死者3600人余を出した「戦争マラリア」で知られているが、台湾疎開については個々人の回想記はあるものの、まとまったものはなかった。台湾の現地を訪ねた克明な3人のルポに、あらためて台湾疎開の厳しい実像が浮かぶ。かく言う私も、石垣島から台湾疎開したが、私の場合、縁故疎開である。本書を読んで無縁故の集団疎開が、いかに大変であったかを知らされた。離島の戦争を語る貴重な一書である。
本書は著者の所属する『八重山毎日新聞』に戦後60年企画「生還―ひもじくて八重山難民の証言」として連載され、2010年新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞している。
台湾で難民化した沖縄の疎開者たちは、いかにして生還してきたのか。第14回新聞労連ジャーナリスト大賞受賞作を単行本化。
コンテンツ
第1部 疎開
序 章
第1章「出発」
第2章 疎開地にて―新営
第3章 茶の里―龍潭
第4章 2次疎開
第5章 終戦
第6章 栄丸事件
第7章 引き揚げ
終 章
第2部 疎開地を訪ねてみる
佳里
新営
南投
南方澳
麻豆
龍潭
第3部 疎開者帰還船の運航と台湾沖縄同郷会連合会
著者
松田 良孝(まつだ よしたか)
1969年2月、埼玉県大宮市(現・さいたま市北区)生まれ。北海道大学農学部卒。1991年4月に十勝毎日新聞社(本社北海道帯広市)に入社し、政経部記者。1993年2月から八重山毎日新聞(本社沖縄県石垣市)の編集部記者。『八重山の台湾人』(2004年/南山舎)で第25回沖縄タイムス出版文化賞(正賞)を受賞。『台湾疎開』(2010年/南山舎)のもととなった『八重山毎日新聞』の連載記事「生還―ひもじくて “八重山難民”の証言」では2010年の新聞労連第14回ジャーナリスト大賞を受賞。
書評 沖縄タイムス ~民衆の視点で国・国境問う~
手に汗握って一気に読んだのは、実体験者の証言がこの本の核心だからだろう。どう生き延び、どう生還するのか。終戦間際の1944年、国の決定で突如、台湾に疎開させられ、敗戦と同時に難民化した先島地方の人々の切迫した現実が、当事者の証言によって昨日の出来事のように眼前に立ち上がってくる。
もとより沖縄県民に「証言」の大切さを述べても釈迦に説法だが、津島丸撃沈の悲劇で広く知られる本土への疎開と違い、ほとんど実態が解明されていない台湾への強制疎開に関する証言となれば、どれだけ貴重なことか。
著者は石垣島の八重山毎日新聞の記者である。国内と台湾で記録を掘り起こし、証言を丹念に集める仕事ぶりに、証言できる人が刻一刻と減少しつつある今取材し泣ければ二度とできないという、記者としての危機感と使命感が伝わってくる。本書は八重山毎日の連載(2009年1月1日~5月1日)に若干の手を加え、単行本化したものだが、動連載が新聞労連の第14回ジャーナリスト大賞に輝いたのもうなずける。
私は数年前、明治半ばに「南嶋探検」を著して人頭税やマラリア禍への無策を糾弾した青森県出身の元弘前藩士・笹森儀助の評伝取材で沖縄を訪れ、松田記者のお世話になった。その折、膨大な資料を調べ、歩き、目と耳で確認し、記録した笹森と同じにおいを松田記者に感じ、感嘆した記憶がある。
笹森が琉球処分後の混乱が続く沖縄や、日本の植民地になったばかりの台湾などを歩いたのは、日本国とは何か、人々は日本国民であることの幸福を享受しているかを確かめるためだった。国境は人間が決めた概念上の線にすぎず、人や物や文化が行き交う。だが、ときに線引きは変わる。たいてい、住民の意思とは無関係に。そして、ぶ厚い壁となり、混乱と悲劇を生む。松田記者は『八重山の台湾人』(04年・南山舎)で第25回沖縄タイムス出版文化賞も受けているが、本書も同じ流れの上にあり、沖縄、とりわけ先島地方にとって「国」「国境」とはどんな意味を持つのかに、民衆史の視点から迫っている。
国は沖縄県民に何をし、何をしないのか、常に確かめ、記録し、問い直さなければならないことは、笹森の時代から何ら変わっていない。そのことを、疎開者が敗戦とともに棄民された実態を本書で知るにつけ、あらためて痛感する。
2010年6月26日付『沖縄タイムス』
松田修一(東奥日報社編集委員室長)
松田修一(東奥日報社編集委員室長)
書評 琉球新報 ~集団疎開の厳しさ描く~
太平洋戦争末期の1944年7月、日本政府は緊急閣議で南西諸島の奄美大島、徳之島、沖縄本島、宮古、石垣の5島の老幼婦女子の疎開を決定した。沖縄本島から8万人を九州以北の内地へ、宮古・八重山から2万人を台湾へ、というものだった。サイパン、テニアンが陥落し、次は沖縄か台湾に上陸するのでは、と見られていた。台湾疎開はこうして始まった。
疎開の対象は、60歳以上の者、15歳未満の者、妊産婦病弱者、これらの者の介護に必要な婦女などだった。縁故疎開(個人疎開)と無縁故疎開(集団疎開)の二通りで、敗戦直後の調べでは、無縁故が8570人、有縁故が4369人だという。無縁故疎開を市郡別でみると宮古4892人、八重山2171人、島尻郡525人、国頭郡493人などとなっている。
本書はこのうちの無縁故疎開について、石垣から台湾の中南部に疎開した3人を中心に、出発から疎開先への入居、食事や病気、二次疎開から食糧難にあえぐ様子、敗戦を迎えて台湾人に囲まれた恐怖や助けられた話、そして引き揚げ港の南方澳から島に帰還するまでの足取りを克明に追うことで、台湾疎開の実態を明らかにした初の著作である。敗戦直前には、幼い兄妹が食を求めてさまよう姿が胸を打つ。台湾政府がこうした疎開者を「琉球難民」と呼んでいたことも、初めて知った。
八重山での戦争と言えば、石垣島や西表島の山中疎開でマラリアにかかり、死者3600人余を出した「戦争マラリア」で知られているが、台湾疎開については個々人の回想記はあるものの、まとまったものはなかった。台湾の現地を訪ねた克明な3人のルポに、あらためて台湾疎開の厳しい実像が浮かぶ。かく言う私も、石垣島から台湾疎開したが、私の場合、縁故疎開である。本書を読んで無縁故の集団疎開が、いかに大変であったかを知らされた。離島の戦争を語る貴重な一書である。
本書は著者の所属する『八重山毎日新聞』に戦後60年企画「生還―ひもじくて八重山難民の証言」として連載され、2010年新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞している。
2010年6月27日付『琉球新報』
三木健(ジャーナリスト)
三木健(ジャーナリスト)
本について
著者:松田良孝仕様:B6判 ソフトカバー 350ページ
発行:南山舎
送料について
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手数料について
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