57年間地域医療に従事した親盛長明さんの人生を綴る
地域医療や医介輔の記録をはじめ、西表島での暮らし、長明さんから聞き書きした昔話も紹介されている。
※こちらの書籍は経年による劣化が若干見られます。中身はきれいで全く問題なくお読みいただくことができます。ご了承いただける方のみご購入をお願い申し上げます。
思い出のアルバム
竹富町の島々
はしがき
第一章 ふるさと竹富島
生まれ島・竹富、西塘御嶽、種子取祭・・・他
第二章 西表島とともに
終戦直後の食糧対策、西表大原へ移住、入植五十周年記念とマザカイの碑建立・・・他
第三章 地域医療にかける
医介輔医療、竹富診療所時代、八重山保健所時代・・・他
第四章『沖縄と介輔 沖縄介輔制度三十五周年記念誌』より
八重山諸島における医介輔の活躍 竹富町長 友利哲雄・・・他
第五章 親盛長明を語る
友人・長明君白保英行、西表の島守 親盛先生大嶺哲雄・・・他
第六章 聞き書き 親盛長明の昔話 聞き手・南野アキラ
むかし、竹富島の暮らし、むかし、竹富島の水事情・・・他
第七章 親盛長明略年譜
あとがき
昭和から平成にかけて離島の保健衛生、地域医療に57年間従事した親盛長明さんの人生を描いた「ある医介輔の記録」がこのほど南山舎から発刊された。 医介輔(医療業務を許可された医療体験者)として歩んだ足跡を自分史として残しておきたいと「80の手習い」で始めたパソコンで編集作業に取り組んでいた親盛さんだが、2009年6月1日に他界したことから長男の一弘さんが引き継ぎ完成させた。 一弘さんは「一周忌に発刊することができ、少しは親孝行できたかなとホッとしている。自分史の枠を超えた地域史、資料集として多くの人々に活用してもらえれば」と話している。 同書では地域医療や医介輔の記録をはじめ、西表島での暮らし、長明さんから聞き書きした昔話も紹介されている。 親盛さんは1916年竹富島生まれ。13歳のときに事故で右腕を失った。42年に県立竹富診療所に勤務。51年八重山保健所の出張所長として西表島に赴任し医介輔を兼ね、マラリア撲滅と寄生虫駆除に尽力した。 退職後は竹富介輔診療所で医療活動を続け2002年に引退するまで島民の健康保持に尽くした。98年に沖縄県功労賞、吉川英治文化賞ほか数多くの表彰を受けている。
親盛長明先生は、西表島、竹富島で医介輔として57年間、離島へき地の医療保健衛生等に功績を残された方である。先生は去年、惜しまれて93歳で黄泉(よみ)の国へ旅立たれた。生涯現役を言い続け80歳でパソコンを始め、活用され、この本を書かれたのである。
本書を手にした時、先生の粉骨砕身の心が伝わり感無量だった。4歳で父を亡くし、13歳で不慮の事故で右腕を失うというハンディを背負っても刻苦勉励で、健常者以上の豊かな人生を送っている。
「人間は困難がないのが幸福ではない。困難に打ち勝つ中で幸福がある」との哲学をもっており、前向きで進取の精神、明朗活発に日々を送っている姿が思い描かれる。
中でも、戦後の離島へき地の医療制度を継承発展させたことは特記すべき点で、21世紀の遺産としても残しておきたい戦後史である。
6月を迎えると戦争マラリア、慰霊の日、沖縄戦の悲惨さ、過酷な生活を強いられた沖縄のおじい、おばあを思い出すのが常である。殊に八重山の戦争マラリアで忘勿石ハテルマ シキナの碑、3600人余人の命を失う悲劇はまぶたから消えないのである。恒久平和を願って平成8年にやっと戦争マラリア慰霊の碑が建立された記録はこの本を通して詳しく知ることができた。
このマラリアの蚊・ハマダラカを撲滅させた方が親盛長明医介輔「八重山の赤ヒゲ」である。
今では、医介輔という言葉も死語になりつつある。若者もこの仕事のことは分からないと嘆き、本書を機に情熱とやる気と後進のためにつづるんだという意気込みと、何くそ精神でもって書き著している。
特に西表へ移住してからの悪戦苦闘は、知恵と勇気と確実な実行力、根性の魂は竹富島のマザカイそのままである。社会、経済基盤の整備されない中、貧困、食糧難、劣悪な生活環境下で数々の傷病、マラリアまん延の厳しい状況の下で、地域医療の第一線に立って日夜奮闘した人間、親盛翁がいたのである。健康な人生は経済、文化、教育の活動の源になると記して、宿敵マラリアをねじ伏せ、地域の健康づくりに汗、知恵を出して行動した人間力に圧倒された。「やったー!」。マラリア撲滅のその瞬間、どんな思いだったろうか―。
人間は苦しくても辛くても困難に打ち勝つ心があれば不可能を可能にもっていき、希望ある人生が送れるものだと確信を持って述べた。
415ページの分厚い本書は、第一章「ふるさと竹富島」、不慮の事故にあっても生きる力、精神力を育成。第二章「西表島とともに」、終戦直後マラリアの西表へ開拓魂を灯す。第三章「地域医療にかける」命がけでハマダラカと闘う移民マラリア昭和32年2000人の患者を救う運動。第七章までまさに郷土史、平和史、教育史でもある。
先生は3級身体障がい者にもかかわらず、口にしなかった異人である。本書には私の人生の出だしは不運続き綴っているのみ。後は医介輔としての使命感、責任感、自己を磨き、業務を果たす熱血医者である。最上の医療は戦争を起こさないことさ―と説得力のある文章で読みやすく書いてある。
人命をあずかる仕事はやり直しがきかない。だから全神経を磨滅すること。住民はついて来た。真摯(しんし)に向き合った。住民を支えることができたと自負し、リーダーとして八重山郡の19人の医介輔には、常に医療ミスを起こさないことを合い言葉にしてきた。
厳しい現実を見つめ、自分の身分、技量をわきまえ職責を全うした親盛長明翁を忘れじの人としてこの本を推薦する。
この記録こそが人間魅力作り、気持ちよく人に接し、接する人の気持ちを強くつかまえ、とりこにする素晴らしい著書である。
地域医療や医介輔の記録をはじめ、西表島での暮らし、長明さんから聞き書きした昔話も紹介されている。
※こちらの書籍は経年による劣化が若干見られます。中身はきれいで全く問題なくお読みいただくことができます。ご了承いただける方のみご購入をお願い申し上げます。
目次
思い出のアルバム
竹富町の島々
はしがき
第一章 ふるさと竹富島
生まれ島・竹富、西塘御嶽、種子取祭・・・他
第二章 西表島とともに
終戦直後の食糧対策、西表大原へ移住、入植五十周年記念とマザカイの碑建立・・・他
第三章 地域医療にかける
医介輔医療、竹富診療所時代、八重山保健所時代・・・他
第四章『沖縄と介輔 沖縄介輔制度三十五周年記念誌』より
八重山諸島における医介輔の活躍 竹富町長 友利哲雄・・・他
第五章 親盛長明を語る
友人・長明君白保英行、西表の島守 親盛先生大嶺哲雄・・・他
第六章 聞き書き 親盛長明の昔話 聞き手・南野アキラ
むかし、竹富島の暮らし、むかし、竹富島の水事情・・・他
第七章 親盛長明略年譜
あとがき
書評 八重山毎日新聞 ~57年間地域医療に従事した親盛長明さんの人生を綴る~
昭和から平成にかけて離島の保健衛生、地域医療に57年間従事した親盛長明さんの人生を描いた「ある医介輔の記録」がこのほど南山舎から発刊された。 医介輔(医療業務を許可された医療体験者)として歩んだ足跡を自分史として残しておきたいと「80の手習い」で始めたパソコンで編集作業に取り組んでいた親盛さんだが、2009年6月1日に他界したことから長男の一弘さんが引き継ぎ完成させた。 一弘さんは「一周忌に発刊することができ、少しは親孝行できたかなとホッとしている。自分史の枠を超えた地域史、資料集として多くの人々に活用してもらえれば」と話している。 同書では地域医療や医介輔の記録をはじめ、西表島での暮らし、長明さんから聞き書きした昔話も紹介されている。 親盛さんは1916年竹富島生まれ。13歳のときに事故で右腕を失った。42年に県立竹富診療所に勤務。51年八重山保健所の出張所長として西表島に赴任し医介輔を兼ね、マラリア撲滅と寄生虫駆除に尽力した。 退職後は竹富介輔診療所で医療活動を続け2002年に引退するまで島民の健康保持に尽くした。98年に沖縄県功労賞、吉川英治文化賞ほか数多くの表彰を受けている。
2010年7月11日付『八重山毎日新聞』
書評 八重山毎日新聞 ~人命をあずかる仕事はやり直しがきかない~
親盛長明先生は、西表島、竹富島で医介輔として57年間、離島へき地の医療保健衛生等に功績を残された方である。先生は去年、惜しまれて93歳で黄泉(よみ)の国へ旅立たれた。生涯現役を言い続け80歳でパソコンを始め、活用され、この本を書かれたのである。
本書を手にした時、先生の粉骨砕身の心が伝わり感無量だった。4歳で父を亡くし、13歳で不慮の事故で右腕を失うというハンディを背負っても刻苦勉励で、健常者以上の豊かな人生を送っている。
「人間は困難がないのが幸福ではない。困難に打ち勝つ中で幸福がある」との哲学をもっており、前向きで進取の精神、明朗活発に日々を送っている姿が思い描かれる。
中でも、戦後の離島へき地の医療制度を継承発展させたことは特記すべき点で、21世紀の遺産としても残しておきたい戦後史である。
6月を迎えると戦争マラリア、慰霊の日、沖縄戦の悲惨さ、過酷な生活を強いられた沖縄のおじい、おばあを思い出すのが常である。殊に八重山の戦争マラリアで忘勿石ハテルマ シキナの碑、3600人余人の命を失う悲劇はまぶたから消えないのである。恒久平和を願って平成8年にやっと戦争マラリア慰霊の碑が建立された記録はこの本を通して詳しく知ることができた。
このマラリアの蚊・ハマダラカを撲滅させた方が親盛長明医介輔「八重山の赤ヒゲ」である。
今では、医介輔という言葉も死語になりつつある。若者もこの仕事のことは分からないと嘆き、本書を機に情熱とやる気と後進のためにつづるんだという意気込みと、何くそ精神でもって書き著している。
特に西表へ移住してからの悪戦苦闘は、知恵と勇気と確実な実行力、根性の魂は竹富島のマザカイそのままである。社会、経済基盤の整備されない中、貧困、食糧難、劣悪な生活環境下で数々の傷病、マラリアまん延の厳しい状況の下で、地域医療の第一線に立って日夜奮闘した人間、親盛翁がいたのである。健康な人生は経済、文化、教育の活動の源になると記して、宿敵マラリアをねじ伏せ、地域の健康づくりに汗、知恵を出して行動した人間力に圧倒された。「やったー!」。マラリア撲滅のその瞬間、どんな思いだったろうか―。
人間は苦しくても辛くても困難に打ち勝つ心があれば不可能を可能にもっていき、希望ある人生が送れるものだと確信を持って述べた。
415ページの分厚い本書は、第一章「ふるさと竹富島」、不慮の事故にあっても生きる力、精神力を育成。第二章「西表島とともに」、終戦直後マラリアの西表へ開拓魂を灯す。第三章「地域医療にかける」命がけでハマダラカと闘う移民マラリア昭和32年2000人の患者を救う運動。第七章までまさに郷土史、平和史、教育史でもある。
先生は3級身体障がい者にもかかわらず、口にしなかった異人である。本書には私の人生の出だしは不運続き綴っているのみ。後は医介輔としての使命感、責任感、自己を磨き、業務を果たす熱血医者である。最上の医療は戦争を起こさないことさ―と説得力のある文章で読みやすく書いてある。
人命をあずかる仕事はやり直しがきかない。だから全神経を磨滅すること。住民はついて来た。真摯(しんし)に向き合った。住民を支えることができたと自負し、リーダーとして八重山郡の19人の医介輔には、常に医療ミスを起こさないことを合い言葉にしてきた。
厳しい現実を見つめ、自分の身分、技量をわきまえ職責を全うした親盛長明翁を忘れじの人としてこの本を推薦する。
この記録こそが人間魅力作り、気持ちよく人に接し、接する人の気持ちを強くつかまえ、とりこにする素晴らしい著書である。
2010年8月1日付『八重山毎日新聞』
島仲玲子(元石垣市教育委員長)
島仲玲子(元石垣市教育委員長)
本について
著者:親盛長明仕様:A5判 478頁
発行:南山舎
送料について
全国一律198円になります。お届けまで10日程お日にちがかかる地域がございます。あらかじめご了承ください。手数料について
コンビニ払の場合は385円が加算されます。予めご了承ください。